チャック・ベリー(Chuck Berry)編 〜ロックンロールの定番となった黄金のギター・リフを生み出したチャック・ベリー!ロックンロールの神様の人生に迫る。〜

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ロックンロール、ロカビリースターを知ろう! 〜チャック・ベリー編〜

チャック・ベリー/Chuck Berryチャック・ベリーは1926年10月18日、アメリカのミズーリ州セントルイスに生まれた。本名はチャールズ・エドワード・アンダーソン・ベリー、チャック・ベリー(Charles Edward Anderson Berry, Chuck Berry)。

チャックは教師の母(Martha)と教会の執事である父(Henry)を持ち、6人兄弟。彼は三男であった。

チャックはセントルイスの北の町で育った。そこは当時黒人差別が厳しかった中、黒人たちが自らの土地を所有し、住むことのできる数少ない地域であった。

Simmons Grade校へ入学したチャックは、その後ミシシッピー州初の黒人の高校となったSumner高校へ入学。
ちなみにSumner高校卒の有名人にはチャックの他、Tina Turner、Arthur Ashe、Robert Guillaume、Robert McFerrin、Dick Gregoryらがいる。

Sumner高校でチャックは既に「ロックンロールの神様」への階段を昇り始めていた。
1941年、チャックは学校の行事でJay McShannの「Confessin' the Blues」を歌い、喝采を浴びる。
これが音楽で人を熱狂させた初の舞台となる。

しかし当時のチャックにとって、音楽は全てではなかった。
いとこのHarry Davisの影響で、写真にも興味を持っていた。

音楽と写真に没頭するかに見えたチャックであったが、不良仲間に影響され、徐々に犯罪に手を染めるようになる。
1944年、Sumner高校卒業前、チャックは重大な事件を起こす。
2人の悪友と盗難車でカンザス・シティーまでドライブ中、逮捕されたのである。
その事件で10年の実刑判決を言い渡されたチャックらはミズーリ州ジェファーソン近くの感化院に入り、1947年、21歳の誕生日に出所した。



翌年、Themetta Suggsと結婚。
1948年から1955年までチャックは様々な職を掛け持ち、忙しい期間を過ごす。
自動車の組立工場で働きながら、ヘアドレッサーの資格を取得し、フリーの写真家として活動、父親の仕事を手伝い、さらにはミュージシャンとしてのキャリアも積み続けた。

ミュージシャンとしてなかなか芽の出ないチャックであったが、ついに転機が訪れる。
1952年の新年前夜にピアニストのJohnnie Johnson率いる「Sir John's Trio」に誘われ、参加。
チャックの参加によって「Sir John's Trio」はIke Turner、Albert Kingと並びセントルイスを代表する人気のバンドとなった。

1955年、ある日彼らのステージを見たブルース界の大御所Muddy Watersは、シカゴにあるChess RecordsのオーナーであるLeonard Chessに会うようチャックに勧め、チャックらは次の活躍の場を目指しシカゴへと向かう。

Muddy Watersの口利きによってチャックはチェスレコードと無事契約。
Chess RecordsのプロデューサーであるWillie Dixonは、チャックが過去に書いた曲「Ida Red」に衝撃を受ける。
1955年5月21日、「Ida Red」は「Maybellene」としてレコーディング。Chess Recordsは当時ディスク・ジョッキーとして絶大な影響力を持っていたAlan Freedに「Maybellene」の紹介を依頼した。

Alan Freedはニューヨークで放送される彼の番組で2時間ぶっ続けで「Maybellene」をかけ続けた。
その結果「Maybellene」はミリオンセラーを達成。ビルボードR&Bチャート1位、全チャートで5位を記録した。

チャックの初期の成功はショービジネスの賜物であったと言われている。
というのも、シングル「Maybellene」の著作権表示にAlan Freedの名が記載されているためだ。
恐らくChess RecordsとAlan Freedの間には闇の契約があり、売上の一部がAlan Freedに流れていたと思われる。
そのためAlan Freedは自番組で異例とも言える2時間通しての「Maybellene」の紹介を行ったとされている。

こうした賄賂的な策により、チャックの取り分は減り、さらに追い討ちをかけるようにマネージャーであるTeddy Reigに取り分をくすねられ、これらの事件によりチャックは他人を信用することを止め、独立を決意することとなる。

1956年にはシングル「Roll Over Beethoven」(全米29位)がヒット。
Thirty Days やNo Money Down 、Too Much Monkey Business 、You Can't Catch Meなど次々リリースするも「Maybellene」を超えるヒットは生まれなかった。

1957年、1stアルバム「After School Session」を発表。
シングル「School Day」(全米3位)、「Rock'n'Roll Music」(全米8位)等がヒット。

1958年、2ndアルバム「One Dozen Berrys」を発表。
シングル「Sweet Little Sixteen」(全米2位)、永遠の名曲「Johnny B. Goode」(全米8位)、「Carol」(全米18位)等がヒットする。

1959年には3rdアルバム「Very Is On Top」を発表する。
いくつかのヒット曲を発表し、公演旅行を行った後の12月、チャックはメキシコで出会った14歳のウェートレスを連れ回し売春を強要。マン法(Mann Act, 不道徳な目的のために女性を州境を越えて移動させることを禁じる)に違反したとして逮捕される。
ベリーは有罪判決が下され懲役五年と5,000ドルの罰金が命じられた。

この頃からロックンロール、ロカビリーの悲劇が起き始める。

逮捕の翌年1960年には4thアルバム「Rockin' At The Hops」を発表。

チャック不在の1963年3月、彼のSweet Little Sixteen はBeach Boysに「Surfin' USA」としてカバーされていた。
またイギリスでもRolling Stonesが彼のCome On 、Carolなどをカバー。
さらにチャックが赦免される1963年10月18日の直前には、ビートルズがRock and Roll Music、Roll Over Beethovenをカバーした。

本人がまだ獄中にあったこの時期に、彼の楽曲はイギリスのチャートを賑わしていた。
まさに「幸運」とも言える有名アーティスト達のカバーであったが、チャックも黙って見ているワケではなかった。

チャックは1963年に釈放されるが、驚くべきことに1960年から1963年にかけての刑務所生活があったにも関わらず、デビューから10年で30枚ものシングルを発表している。
しかしそのほとんどが商業的失敗に終わっているが、それらは決して駄作ではなく、1曲1曲が“現在では”ロックンロール界の宝となっている。

チャック・ベリー/Chuck Berryチャックの発表した曲はどれも当時革命的なギターリフ、陽気で時に反抗的な歌詞・サウンド、どれをとっても最高のモノであった。
当時は黒人差別による人種的乖離が著しかった時代。彼が黒人でなく白人であれば、間違いなく爆発的にヒットしていたであろう。

1964年の2月から1965年の3月にかけて、Nadine (全米23位)、No Particular Place To Go (全米10位)を発表。
You Never Can Tell (全米14位)、Promised Land (全米41位)、と復帰後の彼は順調にヒットを連発するも、Top100に入ったのはDear Dad (全米95位)がChess Recordsでの最後となった。

後にロックのルーツとなる特徴的なギターリフ、ギターを弾きながら腰を曲げ、ステージ上を跳ね回るパフォーマンス「ダック・ウォーク」、その全てがロックンロールにおいて革命と言える。
とりわけ特徴的なギター・リフについては、これも数多のアーティストに影響を与え、幾度と無く模倣されており、「もしもギター・リフに印税が入るのならば、チャック・ベリーは世界一の金持ちだ」というコメントまであるくらいである。

チャック・ベリーはこれから先も「ロックンロールの神様」としてロックンロールの頂点に君臨し続けることだろう。

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