リッチー・バレンス(Ritchie Valens/Ritchie Valence)編 〜わずか17歳という若さでこの世を去ったロカビリースター、リッチー・バレンス。彼の若さ溢れるロカビリー・サウンドは必聴!〜

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ロックンロール、ロカビリースターを知ろう! 〜リッチー・バレンス編〜

リッチー・バレンス/Ritchie Valens/Ritchie Valenceリッチー・バレンスは1941年3月13日、アメリカのロサンゼルス西サンフェルナンドに生まれる。本名はリチャード・スティーブン・バレンズエラ(Richard Steven Valenzuela)。

リッチーが生まれて間もなく両親は離婚し、父親が1951年に死去するまで、父親と共に生活した。

父の死後、母親と兄弟と共に生活を始めるが、しばしば親戚の家に滞在するようになる。なぜなら大好きなメキシカン・ミュージックを教えてもらうためだ。
リッチーの親戚は伝統的なメキシカン・ミュージックを彼に弾いて聴かせ、教えた。

リッチーは9歳の時、初めてのギターを手にする。
音楽の才能に開花し、めきめきと頭角を現しはじめるリッチーは12歳の頃には既に幾つかのオリジナル曲を書くまでに成長した。
リッチーの書く曲は当然、どれもメキシカン・ミュージックにインスパイアされたものであった。

リッチーが高校に入った頃、初めてR&B、ロックンロールに触れる。
R&B、ロックンロールに魅せられたリッチーは1956年、15歳で地元のガレージバンドに入り、サンフェルナンド・バレー周辺でライブに明け暮れた。

リッチーの類稀なるギターセンス、ハイトーンなヴォーカルに目を付けたデルファイ・レコードの社長Bob Keaneはリッチーとレコーディング契約を提案。晴れて契約し、彼のマネージャーとなる。

リッチーはハリウッドにあるゴールド・スター・スタジオにて、幾つかの曲をレコーディング。
この時期名前をリチャード・スティーブン・バレンズエラからリッチー・バレンスへと改名し、新たなバンドを組む。

新バンドのメンバーはドラムにEarl Palmer、ギターにCarol KayeとRene Hall、スタンドアップ・ベースにRed Collendar、ピアノにErnie Freeman。
彼らはリッチーのバックで完璧な演奏を見せ、リッチーを盛り上げた。

彼らの最初のシングルは1958年、リッチー・バレンスのオリジナル曲「Come On,Let's Go」。
全米チャートで42位を記録し、75万枚を売り上げた。
勢いに乗ったリッチーはアメリカ11都市を回るツアーを開始する。

ツアー終了後、レコーディング・スタジオに戻ったリッチーは高校の恋人Donna Ludwigに向けたラブソング「ドナ」を作る。
「ドナ」を収録するレコードのもう一面には彼のルーツでもあるメキシコ民謡「ラ・バンバ」を選んだ。
しかし、なかなか思うようにレコーディングが進まない。問題はラ・バンバの歌詞にあった。
アメリカ人には馴染みのないフレーズであったためだ。
リッチーはラ・バンバを全てスペイン語で歌い、素早いギターフレーズを入れ、エレクトリックベースを導入した。



1958年10月、シングル「ドナ/ラ・バンバ」が発売。
メインはもちろんA面に収録した「ドナ」であったが、B面「ラ・バンバ」が大ヒット。
全米チャートで22位を記録した。

1959年1月、リッチーは後の悪夢のきっかけとなるウィンター・ダンス・パーティー・ツアーに参加。
このツアーにはリッチーの他、ディオン・アンド・ザ・ベルモンツ、バディ・ホリー、ビッグ・ボッパーが参加していた。
初回のギグはアイオワ州クリアレイク。大成功させたリッチーであったが、気温の低さに風邪をひき、体調を崩す。
次回のギグはミネソタ州ムーアヘッド。
バディ・ホリーは小型機をチャーターしていたこともあり、乗車定員である運転手を含め4名が小型機で、残る1人は列車で移動することを提案する。
過去に友人が飛行機事故で死去しているリッチーは大の飛行機嫌いであったため、これまで飛行機は避けてきたが、体調のことを考え、飛行機に乗ることを決意。
コインに運を任せた結果、バディ・ホリー、ビッグ・ボッパー、リッチー・バレンスの3人が飛行機で移動することとなった。

1959年2月3日の深夜、ミネソタ州へと飛び立った小型機は離陸直後、吹雪による視界の悪さからかトウモロコシ畑に墜落した。
この日を境に、米国音楽界は3人の類稀なるロックンローラーを失うこととなる。

わずか17歳でこの世を去ったリッチー・バレンス。
しかし彼の新たに切り開いたロックンロール、ロカビリーの世界は今なお、多くの人々を魅了している。

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