バディ・ホリー(Buddy Holly)編 〜ポップで甘いロックンロールを歌い上げたバディ・ホリー!眼鏡をかけたロックンローラーがロック史上に残した功績に迫る!〜

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ロックンロール、ロカビリースターを知ろう! 〜バディ・ホリー編〜

バディ・ホリー/Buddy Hollyバディ・ホリーは1936年9月7日、アメリカのテキサス州ラボックに生まれる。本名はチャールズ・ハーディン・ホリー(Charles Hardin Holley)。

家族全員が音楽好きという環境の中で自然と音楽に親しみ、幼少期より音楽への関心は高かった。

1941年、バディが5歳の頃、兄のラリーとトラヴィスと共に地元のタレント・コンテストに出場、バディは優勝する。

1953年9月1日、17歳のバディは親友ボブ・モンゴメリーと地元ラボックのラジオ局KDAVのオーディションを受ける。
彼らは見事、毎週日曜日の午後に放送される30分間のショータイムに出演できることになる。

彼らはそのラジオ放送で、得意なカントリーのスタンダードナンバーを演奏した。



1955年10月14日、バディ・ホリー、ボブ・モンゴメリー、ラリー・ウェルボーンらトリオバンドは、ラボックで開催されたビルヘイリー&コメッツのライブで前座として演奏。
翌日15日にはエルヴィス・プレスリーの前座として演奏した。
バディ・ホリーの歌う姿にナッシュヴィルから来ていたタレント・スカウトが目を付け、バディはデッカ・レコードと契約する。

1956年1月9日、バディはソニー・カーティス、ドン・ゲスらと新バンド「バディ・ホリー&ザ・ツートーンズ」を結成し、アルカンタス州リトルロックにて14日間のカントリー&ウェスタンツアーを開始する。

1956年1月16日、バディはデッカ・レコードと契約後初の公式レコーディングを行う。
プロデューサーにはオゥエン・ブラッドリーを迎え、バディのデビュー曲「Blue Days, Black Nights」、クラシック・カバー「Midnight Shift」を含む4曲をレコーディングするも、売れ行きは不調、ヒットには恵まれなかった。



バディ・ホリー/Buddy Holly1957年2月25日、バディはバンド名を「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」に改名。
プロデューサーのノーマン・ぺティと組み、ニューメキシコ州クロヴィスにある彼のスタジオで「That'll Be the Day」を収録する。

「That'll Be the Day」はデッカ・レコードの子会社「ブランズウィック・レーベル」より発売。
ついに彼らのシングルは大ヒットを収める。

1957年9月23日、彼らのシングル「That'll Be the Day」は全米チャート1位に輝く。
続けざまにリリースした「Peggy Sue」も大ヒット。
同年11月にはエド・サリヴァン・ショーに出演する。

1958年1月25日、バディ・ホリー三枚目のヒット曲「Oh Boy!」をリリース。

1958年3月28日、バディはブルックリンのパラマウント・シアターにて、2ヶ月かけてのツアー「アラン・フリード・ビッグ・ビート・ショウ」の初日イベントにチャック・ベリー、ジェリー・リー・ルイスらとともに参加。

1958年8月15日、バディは地元ラボックでプエルトリコ出身のマリア・エレナ・サンティアゴ(Maria Elena Santiago)と結婚。

成功の階段を駆け上がり、順調かに思われたバディの人生であったが、彼にもロカビリーの悲劇が降りかかる。

1959年2月3日、ツアー公演中の移動のために搭乗したミネソタ州ムーアヘッド行きのチャーター機が、吹雪のために方向を失ってアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落し、ホリーは死亡した。
同乗していたミュージシャンのリッチー・ヴァレンスとビッグ・ボッパー、そしてパイロットを含めた4人全員が助からなかった。ホリーはこのときわずか22歳であった。

バディ・ホリーがロックンロール、ロカビリーに与えた影響は計り知れない。
ビートルズを含む多くのアーティストが彼に多大な影響を受けた。

ギター二本とベース、ドラムでバンドを編成するスタイルはバディ・ホリーが最初に考案し、始めたものであり、今や定番のバンド・スタイルとなっている。

バディ・ホリーは当時のロックンロール、ロカビリースターとは異なりワイルドさや荒々しさは無く、黒縁の眼鏡をかけ、インテリジェンス溢れる雰囲気を醸し出していた。
ギターも当時グレッチやギブソン製の箱モノ(フル・アコースティック・ギター)が主流であった中、ソリッド構造のフェンダー・ストラトキャスターを愛用していた。
60年代にデビューしたロック・アーティストには、彼の影響でストラトを手にしたと語る者も少なくない。

活動後期にはヴォーカルのダブル・トラックやストリングスの導入など、レコーディング・テクニックの可能性を追求し始め、存命し続けていればさらなる音楽的成長が期待できたと惜しむ声も多い。

1986年にロックの殿堂入りを果たした。


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