ロックンロール、ロカビリースターを知ろう! 〜エルヴィス・プレスリー編〜エルヴィス・アーロン・プレスリー/Elvis Aron Presley 不思議なことにエルヴィスのサインは「Aron」だが、グレースランドの彼の墓碑には「Aaron」と刻まれている。 ◆誕生 1935年1月8日午前4時35分、ミシシッピー州イースト・テュペロにて誕生。 父はヴァーノン・エルヴィス・プレスリー/Vernon Elvis Presley 母はグラディス・ラヴ・スミス・プレスリー/Gladys Love Smith Presley 兄はジェシー・ギャロン・プレスリー/Jesse Garon Presley(死産) 実はエルヴィスは双子であったが、30分先に生まれたジェシーは死産であった。 ◆学歴 [テュペロ] 1941年09月 イースト・テュペロ合同学校入学(1〜5年) 1946年09月 マイラム中学校入学(6〜7年生、8年生) [メンフィス] 1948年09月 クリスティン学校編入(8年生) 1949年09月 L・C・ヒュームズ高校入学(9〜12年生) 1953年06月 同校卒業 ◆職歴 1953年06月 M・B・パーカー・マシニスツ(機械修理会社)就職 1953年11月 クラウン・エレクトリック・カンパニー(電気会社)転職 1954年11月 同社を退職、歌手業へ。 ◆結婚 1967年5月1日、プリシラ・アン・ボーリュー/Priscilla Ann Beaulieuとラスヴェガス、アラディン・ホテルにて挙式。 長女(一人娘)、リサ・マリー・プレスリー/Lisa Marie Presley(1968年2月1日生)。 ◆離婚 1973年10月9日、サンタモニカ高等裁判所にて。 ◆死亡 1977年8月16日午後3時30分、テネシー州メンフィスにて死去。 享年42歳7ヶ月8日。 ◆孫 ダニエル・ライリー/Danielle Riley Keough(女、1989年5月29日生) ベンジャミン・ストーム/Benjamin Storm Keough(男、1992年10月21日生) エルヴィスの娘、リサ・マリーは1988年10月3日、ロスアンゼルスにてダニー・キーオと結婚、ダニエルとベンジャミンの二児をもうけたが、1994年4月に協議離婚。 1994年5月26日ドミニカ共和国にてマイケル・ジャクソンと再婚 ◆グレースランドの住所 3764 Elvis Presley Boulevard, Memphis, Tennessee 38116 U.S.A. ◆豆知識 【星座】山羊座 【血液型】O型 【身長】183cm 【体重】82kg 【首回り】40cm 【胸囲】102cm 【髪】茶褐色(黒く染めていた) 【瞳】ブルー 【収集】バッジ(警察官、保安官、連邦麻薬取締官など)、銃 【スポーツ】空手(8段)、フットボール、ラケットボール 【酒】飲まない 【煙草】葉巻を少し 【好きな色】ピンク、黒 ◆エルヴィス・プレスリー年表 ■1935年1月8日 午前4時35分、エルヴィス・プレスリーがミシシッピー州イースト・デュペロにて誕生。 双子の兄ジェシー・ギャロンは死産。 ■1945年10月3日 10歳のエルヴィスは、ミシシッピー・アラバマ・フェア&デアリー・ショーのタレント・コンテストで「オールド・シェップ」を歌う。 ■1946年1月8日 11歳の誕生日に初めてのギターを買ってもらう。 ■1948年9月12日 プレスリー家はテュペロからテネシー州メンフィスに移住する。 エルヴィスはL・C・ヒュームズ高校に編入。 ■1953年6月3日 高校を卒業 ■1953年 エルヴィスはユニオン・アヴェニュー706番地にあるメンフィス・レコーディング・サービスにて最初のデモ・レコードを作る。 ギターを弾きながら「マイ・ハピネス」「心のうずく時」を歌った。 ■1954年1月 19歳の誕生日記念にエルヴィスは再びメンフィス・レコーディング・サービスの門を叩き、4ドルのレコードを作る。 「アイル・ネバー・スタンド・イン・ユア・ウェイ」と「ウィザウト・ユー」を歌った。 スタジオのオーナー、サム・フィリップスが立ち合い、エルヴィスの才能に非常に感銘を受けたが、この時はエルヴィスの住所を書き留めただけであった。 エルヴィスはサム自身のレーベル「サン・レコード」でレコード録音したいと思っていた。 ■1954年7月5日 エルヴィス、スコッティ、ビルの3人は、サム・フィリップスのプロデュースのもと、サン・レコードのスタジオにて初のレコーディング・セッションを行う。 ■1954年7月7日 サムの友人、デューイ・フィリップスがメンフィスのラジオ局WHBQの自身の番組「レッド・ホット&ブルー」で「ザッツ・オール・ライト」をかける。 直後、凄まじい本数の電話がかかってきた。誰もがメンフィスのこの新人のことを知りたがった。 「彼は黒人なのか?白人なのか?」 ■1954年7月19日 エルヴィス最初のシングル盤、SUN209「ザッツ・オール・ライト/ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」が発売。 ■1955年2月 ハンク・スノウと共に南米ツアーを敢行。スノウのマネージャー、トム・パーカー大佐に見出される。 ■1955年8月15日 4枚目のシングル「ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス」がカントリーのトップ・テン入りしている中、最後のサン・シングル「ミステリー・トレイン/忘れじの人」がリリース。 ■1955年11月2日 「ミステリー・トレイン」がカントリー・チャートの第一位に輝く。 ナッシュヴィルで行われた毎年恒例のディスク・ジョッキー・コンベンションの投票で、エルヴィスは「最も有望な新人歌手」に選ばれる。 ■1955年12月 エルヴィスの曲が初めて日本でレコードになって登場。 日本ビクターより「ミステリー・トレイン」「忘れじの人」の2曲が「ウェスタン・キャラバン第4集」に収録された。 ■1955年11月22日 いくつかのレコード会社間での熾烈な競争の結果、エルヴィスは35,000ドル(当時としては一財産)でRCAと契約。 ■1956年1月10日 エルヴィスはナッシュヴィルのRCAスタジオにて「ハートブレイク・ホテル」を録音。 ■1956年1月28日 エルヴィス初の全米ネットTV出演。 ドーシー兄弟の「ステージ・ショー」で「ハートブレイク・ホテル」を歌う。 ■1956年3月15日 トム・パーカー大佐がエルヴィスのマネージャーとなる。 ■1956年3月 「ハートブレイク・ホテル」をきっかけに国際的な社会現象が始まる。 ■1956年4月20日 日本初のエルヴィス単独シングル盤が発売。 ■1956年7月1日 「スティーブ・アレン・ショー」を通じて「ハウンド・ドッグ」を世界に紹介。 ■1956年8月 「ハウンド・ドッグ/冷たくしないで」が大西洋の両岸において、初のダブルA面ナンバーワン・ヒットとなった。 1988年、このシングルは史上最高のジュークボックス・ヒットとして「グラミー・ホール・オブ・フェイム」賞を受賞。 ■1956年8月20日 エルヴィスのデビュー・アルバム「エルヴィス・プレスリー登場!」が日本で発売。 ■1956年11月16日 エルヴィス初の主演映画「やさしく愛して」が全米で公開。 ■1957年3月 エルヴィスはメンフィス郊外ホワイトへイヴンに、1910年に建てられた大邸宅グレースランドを購入。 ■1957年7月 エルヴィス第2作目の映画「さまよう青春」がアメリカで公開。 ■1957年10月 映画「監獄ロック」がアメリカで公開。 ティーンエイジャーの非行を象徴するエルヴィスのこの映画は、どの劇場をも満員にした。 ■1957年12月20日 エルヴィスはアメリカ陸軍の徴兵令状を受け取る。 ■1958年3月24日 午前6時30分、エルヴィスはメンフィス徴兵局ローカル・ボード86に出頭。 軍籍番号「US53310761」の2等兵として軍隊生活を開始する。 ※この頃からロカビリーの悲劇が始まる ■1958年6月10日 エルヴィス50年代最後の映画「闇に響く声」のプレミア・ショーが行われ、多くの批評家によってエルヴィスが最良の演技を見せた映画として評価される。 ■1958年8月14日 エルヴィスの母、グラディス・プレスリーが46歳で死去。 エルヴィスは母の死から真に立ち直ることはなかった。 ■1959年11月 24歳のエルヴィスは将来の妻となるプリシラ・アン・ボーリュー(14歳)と出会う。 ■1960年3月5日 エルヴィスは陸軍を除隊。 ■1969年10月20日 除隊後初の映画「G.I.ブルース」が公開。 ■1961年1月19日 「今夜はひとりかい?」がリリース。4週連続第1位となった。 ■1961年3月25日 エルヴィスはハワイの真珠湾でUSSアリゾナ記念館建設資金調達のためのコンサートを行う。 これが向こう8年間で最後のライブ公演となった。 ■1965年5月27日 1963年の「悲しき悪魔」以来のナンバーワン・シングル「クライング・イン・ザ・チャペル」がチャート入り。 ■1967年5月 ラスヴェガスのアラディン・ホテルにて、プリシラ・ボーリューと結婚。 ■1968年2月1日 リサ・マリー・プレスリーが生まれる。 ■1969年6月 伝説として語り継がれるNBC-TVショー「68カムバック・スペシャル」に出演。 ※この時のエルヴィスがフィギュアになってマクファーレン社より販売されている。詳細は下の「エルヴィス・プレスリー関連グッズ」にて紹介。 ■1969年1月13日 アメリカン・サウンド・スタジオでレコーディングを行う。 実に1955年以来のメンフィスでの録音となる。 ■1969年7月31日 エルヴィスは8年ぶりにステージに戻る。 ラスヴェガスのインターナショナル・ホテルで公演し、観客動員記録を破った。 この時、誰もがエルヴィスのカムバックを確信した。 ■1969年9月 「サスピシャス・マインド」がアメリカのチャートで1962年の「グッド・ラック・チャーム」以来のナンバーワン・シングルとなる。 ■1970年11月11日 映画「エルヴィス・オン・ステージ」が公開される。 多くのファンにとって、エルヴィスのライブ・ステージを初めて見る機会となった。 ■1971年2月11日 映画「エルヴィス・オン・ステージ」が日本で公開され、空前のエルヴィス・ブームが巻き起こる。 ■1972年1月18日 USハイウェイ51サウスのメンフィス市内南部10マイルの部分が「エルヴィス・プレスリー・ブルヴァード」と名付けられる。 ■1972年6月9日 エルヴィスにとって最大の挑戦とも言えるニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでの公演を行う。 ■1973年1月14日 TVスペシャル「アロハ・フロム・ハワイ」は衛星を通じて全世界のおよそ10億人の視聴者に生中継された。 ■1973年10月9日 エルヴィスとプリシラは離婚。 ■1975年1月8日 エルヴィス40歳の誕生日を迎える。 ■1976年8月21日 アメリカRCAはエルヴィスのレコード売上が現在4億枚を突破したと発表。 ■1977年6月26日 エルヴィス最後のコンサートがインディアナ州インディアナポリスのマーケット・スクエア・アリーナにて行われる。 ■1977年8月10日 エルヴィス生涯のラスト・シングル「ウェイ・ダウン」発表。 エルヴィスの死後、ナンバーワンに輝いた。 ■1977年8月16日 エルヴィス・プレスリーはグレースランド・マンションにて死去。 [Elvis:The Essential Collectionより] 管理人的には1958年以前のエルヴィスが“真の”エルヴィスの様に思います。 ド派手なパフォーマンスや荒々しい演奏スタイルなど、どれをとってもキング・オブ・ロカビリー!と言う感じ。 陸軍除隊後はなんだか丸くなってしまったようで、別人の様な感さえあります。 ◆エルヴィス・プレスリー関連リンク
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